【連載コラム】20年後の地域戦略を考える


Vol.21
化石資源が生んだ言葉

2010.03.29 金子照美(2030.jp編集室 NPO田園社会プロジェクト理事長)
コメント(5)件

「若さとはヨーロッパの発明である」と書いたのは英文学者の吉田健一です。
産業革命が起こるまでの農耕社会では、「若さ」とは「未熟」を意味していました。これは農業や職人の世界を考えれば容易に想像できます。
村の高齢者は「長老」と呼ばれる指導者でした。
職人も30、40年と腕を磨いてようやく一人前。
歌舞伎など芸事の世界も4、50代はまだヒヨっ子。真にその人の芸が光るのは60歳を過ぎてから、などと言われます。
政治界もそうです。「君も若いねえ」「口ばしが黄色い」「ケツが青い」などという言い草は、若さを未熟、経験不足として揶揄するものです。
つまり、経験が重んじられる社会では「若さ」は未熟以外の何物でもなかったわけです。

ところが18世紀の中頃、イギリスから始まった産業革命はこの常識を一変させました。
生産は職人から機械へと移り、労働は単純化されます。
農業のような複雑な労働ではないので、若者も簡単に仕事を覚えます。
ベテラン職人の必要性は薄らぎ、賃金が安くて身体の丈夫な若者が重宝される。
こうして社会そのものが「若さ」を必要とする構造になっていったわけです。
しかし、当時の動力は石炭を使っていたので工場の中は煤煙で充満、都市にはスモッグが溢れていました。
工場での労働条件はひどく劣悪で、当然のことながら、病気も多く発生します。

サッカー、水泳、ラグビー、テニスなど近代スポーツの多くはイギリスで生まれていますが、そのほとんどは産業革命以降。
こうしたスポーツの隆盛は、労働力としての若者の身体を鍛える、あるいは兵士の鍛錬とも無関係ではなかったと思われます。
ドイツでは18世紀後半「体育」、文字通り身体を育てるという教育が確立されます。

産業革命は、鉄道による長距離輸送を可能にしました。
交通の便の向上が、各地で行われていた様々な競技におけるルールの統一化を促し、全国スポーツ大会へと発展します。
こうした道のりを経て1900年、クーベルタン男爵によって「若さの祭典」近代オリンピックが誕生。
「若さ」は筋力、身体能力の卓越、あるいは健康美としての揺るぎない社会的価値観を獲得することになります。

いささか乱暴な言い方をすれば、若さとは産業革命、つまり化石資源の利用と共に発明された価値概念である、ということにもなるはずです。

化石資源の開発と共に発明された概念は他にもたくさんあります。「発展」という言葉も明治時代に輸入された訳語かと思われます。
「薩摩藩の発展のために」などと言う西郷隆盛のセリフはありえません。言うとすれば「薩摩藩の安泰のために」となるはずです。
江戸時代までの日本で手に入るエネルギーといえば太陽光だけ。つまり燃焼エネルギーとなる森林も農地も太陽の光をエネルギーとしています。
したがって、藩の国力は領土の面積や地形、自然条件にほぼ比例していました。つまり領土以上の太陽エネルギーは得られないという面積的制約があったわけです。
「発展」するには他国へ攻め入り、領土を拡大するしかない。それが戦国時代でした。

ところが地下から石炭が発掘され、それが燃料として使われるようになると、国土面積に関係なく工業生産力は上がる。
20世紀初頭のイギリスにおける石炭のエネルギーは国土の森林の3倍にも及んだらしい。つまり、太陽エネルギーの宿命であった面積の制約からも解放されたことになる。
developmentという経済概念が成立し、日本では「発展」という訳語となった。
かくして産業革命は経済構造を変え、先進国では、一流会社、就職、給料といった昇進を目指す経済競争社会へと変貌していきます。

農村へ行くと村長さんなどから「わが村の発展のために」という言葉を聞きます。むろん無意識に「良くなる」という意味に使っているのでしょうが、化石資源が生んだ発展という概念は、太陽エネルギーを基調とするこれからの社会にはそぐわないのではなかろうか。

今の都会では「若さ」という価値も次第に幻想となりつつあるようです。フリーターが溢れているのも経済競争社会に嫌気がさしていることの裏返しでしょう。金がないので服もあまり買わず旅行にも行かず、若者の消費は減る一方らしい。その彼らが古い農家の佇まいや地方の農村文化に異常に興味を示したり、採れたてのダイコンをかじって大はしゃぎしたりする姿をTVで特集していました。

何か産業革命以上の大きな変化が静かに進行しているような気がしてなりません。
いずれにせよ、化石資源が枯渇した社会では、「若さ」「発展」といった言葉はやがて死語となり、代わって、穏やかな里山風景や美味しい野菜、つまり太陽エネルギーが育てた田園社会を賛美する新しい概念が生まれるのではないでしょうか。



<ご感想をお寄せください!>



たしかに、農村や農業を目指す若者たちの動きには、彼らが抱いている現代社会への矛盾が感じ取れます。若者の胎動が、高齢化が進む農村の活力となることを願ってやみません。
しかしながら、これまで何度か若者と農村のミスマッチにも遭遇してきました。決して若者たちに打算があるわけではないのですが、何というか、若者たちが農村に「片思い」をしているように見受けられるのです。今回のコラムを読ませていただき、私がそう感じた背景には、都市で育った若者と農村のお年寄りの間に、「若さに対する概念のギャップ」が一因としてあるのではないかと思いました。
農業歴60年の老農夫でも60回しか米は作ったことはない。だから農村で生きるために若きは老いに対して謙虚でなければならない。農村へ向かう若者たちは若さを活かすために謙虚であって欲しいと心から思います。

2010/07/12 10:17

このコラムにあるように農村に興味を持つ若者(中国語で「青年」or「少年」)が増えてきていると思います。近年のフリーターの増加の背景には、高い理念を持って農村地域で活躍されているNPO法人や農業生産法人等に非正規雇用で働いている方も含まれていると思います。こうした農村に向かって吹いている世の中のうねりは、一体どこまでつづくのでしょうか。既に、限界集落が発生し、昭和一桁世代もリタイヤしてしまうと、農村を一体誰が守っていくのでしょうか。
コラム最期の「太陽エネルギーが育てた田園社会を賛美する新しい概念」が早晩生まれることを願ってやみません。ブータンが提唱した国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)やイタリア発祥のスローライフなど生活そのものを見直す考え方が日本でも定着しつつあると思います。これらの概念を取り入れて、日本独自のスローガンが生まれる日を期待しています。

2010/05/27 12:33

 まそしくその通り 原始から現代 現代から原始への進化? いや ただの憧れや現実逃避からなのか自分のまわりでは やたらにオーガニックを叫ぶ人たちがいる。ぜんぜんいいのだが現代のすべてを批判するような感じも時々ある。 現代に生きる自分は とにかくバランスがよく行きたい まー自分の中でのだが、車がなけりゃ今の生活はできないし、おいしい野菜も食べたい、そういう現実と現代の未来を考えながら生きて生きたい

2010/04/01 06:27

鹿児島県の片隅の過疎の村で、生活していますが田舎暮らしにあこがれるのは良いでしょうが、田舎には自分で働かなければ生活できないのです、農地・水・環境を守る活動をしていますが、厳しい現実は変わりません。過疎対策も大変です、自治会が成り立たない状況です、それでも田舎でがんばりたいです。

2010/03/30 11:51

いつも面白く読んでいます。
用語についてコメントです。

「若い人」という言葉は中国人や韓国人に通じません。
「若」は「弱」の日本における当て字です。音が同じだからです。

「若干」の原語も「弱冠」です。丁度20歳という意味です。
成人になり、冠をかぶる儀式から来ています。
したがって、「若干」も中国人、韓国人に分らない言葉です。
「若」の原義は、漢文で習ったとおり「もし」、つまり英語の「if」であり、現在でも変わりません。
だから中国や韓国では、「若者」も「若干」も意味不明の言葉になってしまうのです。

「弱」の本来の意味は、young(日本語では「若い」)。
youngはしたがって弱い。・・・日本の「弱」には「弱い」という意味しか残らず、youngには「若い」という漢字を充てたのです。
コラムの通り、「young」とは役に立たない存在を意味していました。 

ついでながら、西欧語で搾取を意味する「exploitaion(英、仏)」の言葉の第1
次的意味は「開発」です(藤田弘夫「都市の論理」(中公新書) pp194)。
先進国による後進国の開発、都市による農村の開発は、まさにexploitaion(搾
取)ではないかと思われます。

2010/03/29 17:42

メールマガジン

メールマガジンのご登録

2030.jpピックアップ

2030.jp | キャンペーンの趣旨
「冊子 バイオスフィア」環境教育教材のご紹介
コラム 20年後の地域戦略を考える
あなたのまちの「生き残り度」は? | バイオ資源ポイント
環境教育教材活用事例
ビルトッテン×大学生インタビュー
対談 | 「東京大学名誉教授」佐藤洋平 × 「女優」竹下景子
Think About 2030 | 読者の声
全国の活動
子ども感想文コーナー | KID's FORUM
2030 研究室 | Seneca21st